プロフィール

こんにちは、「本来の自分を取り戻し、心の笑顔を取り戻させる」

心理カウンセラーの中山和幸です。

アダルトチルドレンの方で毎日生きづらい方、自己否定する癖によって苦しんでいる方、他身近な人間関係でお悩みの方、日常での生きづらさを克服できるようカウンセリングを提供しています。

こちらのページでは私のこれまで歩んできた人生を現在に至るまで紹介させて頂きます。
ご興味がありましたら是非最後まで読んで頂けたら幸いです。


幼少期  無関心な父と過干渉な母

私の両親は、お互い他人行儀な印象でしたが離婚などはすることなく一緒に暮らしていました。母親の権力はいつも父親をはるかに上回っていて、極端な「かかあ天下」と言えます。


その両親の私に対しての接し方は言うと、、、



無関心な父親

父親は自分のことをいつも優先していて子育てに関しては無関心。父親が私のために行動してくれたり何かを決めてくれたことは一度もありませんでした。。

(後に、「お母さんに任せているから」と暴露した時がございまして、それを聞いた時は心底寂しかったですね。。)


生きていくために、成長するために必要なことを教えてもらうことはなく、父親らしいことをしてもらった記憶がありません。家事に関しては母親から押し付けられてやることもあり威厳がなく、私にとっては親戚のおじさんのような存在でした。



過干渉な母

その反面母親は過干渉。でしたが父親が無関心であったからか、母親を喜ばせることが何より嬉しく、自分の生きる目的になっていました。


しかしその想いは届かないことが多く、母親は機嫌を損ねると物に八つ当たりをしたり暴言・暴力を振るってきます。


それでも逆ってしまえば生きていけなくなると怯え、「私は何もしていないのにまた怒っている。なぜだろう?」という疑問をいつも抱きながらも、言われるがまま・為されるがまま母親の顔色を伺い、怯える我慢の毎日。



学校でも外で遊ぶ時でも、母親の顔色がいつも頭から離れず、何と言われるかが自分の行動の基準になってしまい、遊んでいる時でさえ自由を感じられませんでした。



思い返すとひっそりバレンタインチョコをくれた子がいたり、自分に自信を持つチャンスはいくつかあったものの母親の存在が強烈過ぎて、自分を承認するどころではなかったですね。。



自分の行動が全て母親の機嫌次第で左右され、いつも母親に従うことしかできないため、自己肯定感は下がっていきます。




学生時代  生きづらさが極まり、我慢は限界へ


母親の存在は幼少期から変わらず、自分の行動は母親によって決められ、やりたいことと母親の理想が一致しないと怒りによって抑えこまれるため、母親の顔色を伺って生きるようになってしまいます。


また、私には兄が一人いるんですが、この兄が要領がよくて優秀でして。。


周囲は兄と比べてくるし、あと兄はずっと剣道を習っていたのですが、大会に出るとよく優勝して賞状やトロフィーをもらっていました。


それを母親は全て自慢げに家のリビングルームに飾っていたんですね。私も兄の活躍は嬉しいといえば嬉しいのですが、私自身に対しては自己否定の癖が始まっていきます。



自己否定することが習慣になっている為、何に挑戦しても大事なところで失敗し、また自己否定するという悪循環にはまり、自己承認できずに生きづらい毎日。。



人の目が気になり、外で人に会うと自分が笑われているような気がしてしまい、対人恐怖の症状も出始め、信号待ちをしているだけで体から汗が出てくるようになってしまい、「もう死んでしまおうか」という感情が慢性的に湧き、とにかく毎日苦しい。。



自殺用のサイトを覗いてしまうこともあリました。





ボクシングを始めてみる

そんな生きづらい人生を変えたい一心で悩み続け、活路を見出せずにいたが、これまで経験したことのない環境に身を置くことで何か変えられるかもしれないとの思いで、ボクシングを始めることを思い立ちます。



喧嘩が強かったとか、よくある動機はなくて、これまでの人生には全くなかったものが味わえると思ったんですよね。



親もまさかプロを目指すとは思わなかったのか、ジムに通うことには特に反対はしませんでした。


まだ「ボクササイズ」という通い方が普及していない時代、殴り合いをしたことのない自分がボクシングジムを訪れるには勇気が必要でして。。


見学希望の電話をするだけでドキドキしてしまい、いたずら電話のように何回も切ってからかけ直しと繰り返してしまいました。



拳の握り方も知らなかった状態でしたが、反射神経が優れていたことだけを頼りに、やれば強くなれるという根拠のない自信が後押しして戸惑う心を振り切って電話・見学に行きます。



実際ジムを訪れた時は終始緊張が解けず、プロの選手の方を見て自分自身がプロボクサーになる姿をイメージはできませんでしが、現状を変えるにはプロにならなければとプロボクサーを目指すことに。


プロボクサーを経験後、カウンセラーへ


大学を卒業後、就職せずにプロボクサーになることを両親に伝えると、案の定母親は普通の反応ではなく、病院の精神科へ連れて行かれました。



しかし自分の人生を自分で選択するチャンスはもうここしかないと思い、これまでとは一転、その時だけはどう思われても自分の決めたことをすると思え、一人で生きる覚悟も持ち、母親を振り切りました。




プロボクサーの道へ

その後は自分の意志で家を出てアルバイトしながらボクシングを続けることに。気持ちは折れずも約5年かかりましたが、念願のプロテストに合格。プロボクサーになリました。


母親との過去を精算できたわけではありませんが、それは両親へ伝えました。プロボクサーを続けることは応援してくれ、デビュー戦から両親で会場まで来てくれました。



デビュー戦は、「何としても勝ちたい」「観に来てくれた人達にかっこいいとこ見せたい」という気持ちが前面に出たので持てる力も出せて勝利したのですが、なんせ自己否定が癖になっているため、その後はトレーニング中に人に褒められても戸惑ってしまい、受け入れることができず。。



実力は確実に上がっているのに、「デビュー戦が一番強かったよ」と応援してくれる人に言われる程、ボクシングの試合でリングに立つもプロボクサーとして堂々と振る舞うことができず。。


自分の名前がマイクでコールされることにも戸惑いを感じてしまいます。


当然本来の力も出せず、結果も出せません。



心と向き合って見るためお寺に修行に行き、滝行などを経験するも結局その場限り。。



足りないのは努力ではなくメンタル面であることは承知していたものの、プロになって10年近く経ってもその根本の解決方法が分からずに、日常でも生きづらさを抱えて悩み続ける日々を繰り返します。



道半ば、網膜剥離を患う

毎日苦しくも、その生きづらさをボクシングを通して克服したいとの信念を持ち続けていました。がしかし、道半ばで網膜剥離が判明。


結構深刻だったらしく、判明後すぐに大学病院へ向かい手術するも、二度の手術に失敗。



失明目前のところで病院を変え、なんとか治してもらえましたが、リングに立つことだけでは今の自分の生きづらさを変え、必要なものを得ることはできないと実感し、引退を決断。(プロボクサーである自分に違和感を持っていたのか、道半ばという現実であったが、「やっと辞められる」という安心感のような感情が入り混じった複雑な心境であったことをよく覚えています)





カウンセラーへの興味が湧き、カウンセラーの道へ踏み出す


その後も生きづらい毎日を送りながらも、ボクシングと両立していた仕事をしながら生活していたある時、

「体が弱く、できる仕事も少ないため仕事が決まらない」という方がその悩みを打ち明けてくれたことがありました。


寄り添ってお話を聞いていると、泣いて自分の話を聞いてくれたんですね。



それが嬉しく、他人の悩みや生きづらさに向き合い、克服のお手伝いをして喜んで頂くことで幸福を感じ、自分も救われるのではないかと思いました。



そう思うと行動したくなり、心理カウンセラーになることを志すことを決めます。



自分のありのままを受け入れられるようになる「安心と自信の土台を作るワーク」や人間関係のストレスを激減させる「対人関係を解消するワーク」など、心理学を本格的に学び始めます。



「自分を癒す」というメソッドを知ったことで、自己否定する自分に対する考え方や出来事・人への解釈の仕方も変えることができるようになり、生きづらさを徐々にではあるが改善。



現在も日頃から自分を癒し、肯定することができれば人間はいつからでも自己肯定感を育てられることを実感。



自分の力で生きづらさを変えられるという希望を持ったことで、それを人へも与え、カウンセリングによって幸せに生きられる人を増やしたいという信念のもと日々カウンセリングを提供中。